Jul 30, 2009
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3月11日午後2時46分、日立総合病院(茨城県日立市)に勤務する管理栄養士の名和礼子さんは、入院患者の栄養管理をいつも通りに終え、「厨房棟」のコンピューターで管理データの入力作業をしている時に、揺れを感じた。揺れは当初、小さかった。日立市がある茨城北部は普段から地震が多いといい、この時、名和さんは「すぐに収まるだろう」と考えていた。
しかし、揺れはなかなか収まらなかった。むしろ次第に大きくなった。「いつもと違う」―。そんな危機感を、名和さんは抱き始めた。やがて、今まで経験したことのない大きな横揺れが襲った。机や棚から、書類や本がバサバサと落ちた。天井や壁がみしみしときしみ、厨房の天板がはがれ落ちた。名和さんは机にしがみ付き、必死に体を支えていた。
「火を消して避難路を確保しろ」。調理長の山内明さんが厨房から指示を飛ばした。名和さんは我に返ると、震える手で裏庭に続くドアを開けた。
気象庁によると、東日本大震災では茨城北部を震度6強の揺れが襲った。患者やスタッフへの人的被害は免れたが、院内の設備が受けた被害は甚大だった。全部で8棟ある建物のうち、医局がある「B棟」へのダメージが特に大きく、使用を中止せざるを得なかった。
■電気が途絶、人海戦術で配膳
震災直後、厨房棟ではスタッフの無事を確認するとすぐに、食べ物を運ぶ容器や鍋、やかんなどあらゆるものに水をため始めた。今は水道が生きていても、今後、供給が途絶えるのは間違いないと予測したからだ。案の定、間もなく水は止まった。電気と都市ガスの供給も断たれた。
幸いだったのは、最低限のライフラインを維持できたことだ。厨房棟で確保した水のほかに、貯水タンクに3日分程度の備蓄があった。夕方には、施設管理係のスタッフが発電機を手配した。都市ガスに代わる非常用ガスも確保できた。
院内では、被害が大きかった病棟から別の病棟への入院患者の移送が始まった。比較的容体が安定し、家族が迎えに来られる入院患者には、いったん退院してもらった。一方で、地震でけがをした人たちの救急搬送が相次いでいた。
栄養科にとっては、入院患者に夕食をどう提供するかが喫緊の課題だった。患者の出入りが激しく、そもそもどの病棟に何人の患者がいるのかすら分からない。そこで、各病棟の師長にそれぞれの患者数を伝えてもらい、全体の食数を約250食と割り出した。
夕食の配膳が午後6時ごろに始まった。エレベーターが動かないため、栄養科のスタッフが人海戦術で届けるほかなかった。2時間近くをかけて7階建ての建物を駆け回った。地震が発生してから動きっ放しだった院内のスタッフ約300人にもおにぎりを配った。
患者に提供した夕食の献立は、▽おにぎりか全がゆ▽モヤシの中華風あえ物か豚肉の照り焼き▽パイナップル-の3品。地震の発生時、おかずの調理を半ば終えていたのが幸いした。入院患者からは、「今夜は何も食べられないと思っていた」と感謝された。
「おにぎりがこんなにありがたいとは」―。疲れた表情のスタッフたちも、おにぎりをかみしめながらしきりにつぶやいた。
地震が発生した11日午後から、日立市内の幹線道路では激しい渋滞が続いた。ガソリンスタンドでは、必要な燃料を確保しようとする車が長蛇の列を作った。鉄道や路線バスなどの交通機関もストップし、多くの人が帰宅の足を失った。
余震への警戒と翌朝の調理要員を確保する意味もあり、栄養科では通勤が困難な院内と委託先の管理栄養士・栄養士ら7人が、翌朝まで待機した。栄養科のスタッフはその後14日朝まで、2人ずつが交替で泊まり込んだ。
■被災5日後、水不足が深刻に
同病院栄養科の石川祐一科長は11日の地震発生時、翌日から始まる学会の準備のために金沢市内の会場にいた。同市周辺では地震による被害はなく、少し揺れた程度だった。病院の深刻な状況は、スタッフからの電話で初めて知った。
テレビでは、地震による東日本の惨状をひっきりなしに伝えていた。学会はすぐに中止が決まった。石川さんは会場近くでレンタカーを手配し、午後8時ごろに金沢市を出発。高速道路を乗り継いで日立市に向かった。北陸自動車道では、激しい吹雪の中をいち早く被災地に向かう災害派遣医療チーム(DMAT)の車列を見掛け、不安をかき立てられた。
病院にたどり着いたのは、翌12日の午前9時ごろだった。金沢市を出発して13時間がたっていた。
院内に足を踏み入れた時に目にした光景は、半年前に実施した防災訓練そのものだった。次々と運ばれて来る救急患者を受け入れるため、「A棟」1階にある待合ロビーのいすがすべて撤去され、そこで医師や看護師が、重症度の高い患者から順に治療を提供していた。地震による被害のすさまじさを、改めて実感した。
石川さんは、病院に着くとすぐに食材確保の対応に追われた。幸い厨房棟の被害が小さく、使える食材が残っていた。キャベツなどの野菜や乾物は、短期間なら地元で調達できそうだと分かった。しかし、米の在庫はそれほどなく、このままだと1週間を待たずに底を突く計算だ。
取引している福島県いわき市内の業者に連絡すると、「米の在庫はあるが、ガソリンがない。配達は困難」と伝えられた。すぐに車でいわき市に向かい、米600キロを確保した。
地震発生から2日後の13日夜に電気が復旧した。その3日後の16日にはガスが復旧し、職員食堂も再開された。一方で病院は、深刻な水不足という危機に直面していた。
水の使用を少しでも抑えるため、厨房棟では洗浄機を使わなくて済む使い捨ての弁当箱を手配していた。それでも16日になると、貯水タンクの備蓄が底を突きかけた。水を完全に失えば、医療機関としての機能自体が奪われてしまう。窮地を脱するため、病院では地元の業者に協力を要請。500リットルのポリタンク8個を積んだトラック2台を借り、日立市内の浄水場から直接、ピストン輸送した。
綱渡りの病院運営はその後さらに2日間続いた。ようやく水道が復旧したのは、震災発生から1週間後の18日午後のことだった。
「とにかくよかった」「もう大丈夫だ」―。震災後に毎日開いていた院内の会議では、ライフラインの復旧を各部署の幹部が手をたたいて喜び合った。
■ライフライン1週間途絶は想定外
ライフラインを欠いた中での運営を余儀なくされた1週間、同病院では入院患者への給食を絶やすことなく提供し続けた。
同じ地域にあるほかの病院でも、家庭用のカセット式ガスコンロを使って調理したり、すり鉢でペースト食を作ったりして、それぞれ窮地を切り抜けていたという。
「何とかして患者さんに給食を出すことが、われわれの使命。仮に食材が底を突けば、自宅から持って来るか、どこにでも探しに行く覚悟だった」と石川さん。
リーダー不在の中、栄養科の指揮系統を維持できたのは、調理長の山内さんによる的確な指示が大きかったと、管理栄養士の名和さんは感じている。これにより、スタッフが冷静に対応できたという。栄養科では数年ほど前、災害時を想定した実地訓練を実施し、山内さんも参加していた。それだけに石川さんは、普段からの訓練の大切さを実感している。
今回の震災は、病院による災害対策の課題も浮き彫りにした。同病院では当初、災害が起きても2、3日程度でライフラインが完全復旧すると見込んでいたが、そんな想定は根底から覆された。石川さんは「病院が災害時に十分な機能を維持するためには、より充実した備えが必要だと痛感した」と話している。
■震災後もライフライン維持、非常時の備えが奏功
千葉県旭市にある国保旭中央病院では、震災後もライフラインを維持し、ほぼ通常通りに給食を提供することができた。同市では震度5強に見舞われたが、災害発生を見越した普段からの備えが功を奏した形だ。
管理栄養士の安田恵子さんによると、同病院では数か所の発電所から電力供給を受けているため、震災後も停電を回避できた。さらに、普段から井戸水を使用していることが幸いし、断水の影響も受けずに済んだ。
伊良部徳次副院長は「(井戸水では)通常の40%ほどしか賄えないが、病院全体でも大きな不都合は生じなかった」と話す。
ただ、火災防止や安全確保の観点から、震災後はガスの使用を控えたほか、エレベーターも停止せざるを得なかった。このため、震災当日には夕食を加熱調理できず、献立を本来のおかゆから非常用のパンに変更。各病棟や併設の介護老人保健施設に、約700食をスタッフらが届けて回った。
配膳が完了したのは午後7時ごろで、それでもいつもより30分ほど遅れた程度だったという。
ライフラインは15日までにほぼ完全に復旧した。
想定外だったのは、帰宅できなくなった外来患者が38人いたため、食数に混乱が生じたことだ。安田さんは「周辺の住民が大勢避難して来たとしても食事を提供できるように、今後は食糧や水をもっと確保しておきたい」と話している。
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